2011年08月27日

夢の死海でプカプカプカプカ anman



本日は休養日。

朝はゆっくり目覚め、今日はのんびりしてやろう!!・・・と、していたところ午前10時にポーランド人のシルビアが「今日死海に行きたいのだけど・・・」と、声をかけてきた。


気持ちはのんびりモードでだったが、これも何かの縁なので一緒に行く事に。

片道1時間、往復で1人8d(880円)もし4人集まれば一人6dらしい。自力でバスなら往復4d程度???


死海にはツーリスト用の15dビーチと、ローカル用の10dビーチがあるのだが、シルビアの希望で10dの方へ。違いはプールがあるかないかだそうだ。


子供の頃、死海に浮かびながら新聞を読んでいる写真を見て、心惹かれた場所。とうとうこの場所へもやってくる事ができたんだ・・・と若干の感慨を伴いつつ、いざ死海に入水!!


一歩ずつ入ってみると・・・あれっ???普通歩くことが出来る・・・全然浮く気がしないぞ???


そのまま腰まで死海に入ったのだが、現時点では普通の海とあまり変わりない・・・・

いぶかしく思いながらも思い切って死海に仰向けで寝そべってみると・・・


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・・・浮いた!!!

腰、いや尻を支点にしてゆっくりと足が持ち上がってくる。上半身も沈む事なく無重力状態のよう。沈もうと思っても沈む事も出来ない。お風呂につけたキューピー人形を想像してもらうとわかりやすい。


何だか楽しくなって空を見上げながらしばし浮き続ける。プカプカ浮かび続けるのは気持ちいいものだな。


浮き続ける事30分…いろいろなところがヒリヒリ痛くなってきた。肌が赤くなってきた。
塩に負けたのだ…あー肌が弱いって面倒くさい。


肌に危険を感じ、時折シャワーで塩を流しながら楽しむことに。


プカプカ浮く事を楽しんだ後は、楽しみ泥パック。

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はて、どこで泥を集めたらよいのだろう???と悩んでいたらシルビアが地元の人に場所を聞いてくれた。

教えられた岩場の下の穴に手を突っ込むと、水でゆるめた紙粘土のような感触の泥を発見。みんなで手分けして採掘し、泥パック開始。

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日本で泥パックをしたら高価なのだろうが、ここでは無料。どうやら15dのツーリストビーチは泥パックをするのにお金がかかるようだ。

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それにしても死海は楽しい。


体中に泥を塗りたくりしばしアザラシのように日光浴。
10分ほど体に成分を染み込ませた後、再び死海にプカプカ浮きつつ体の泥を落とす。
そしてシャワーを浴び、泥パック1セット終了。

これを2度繰り返す。

なんとなく肌がしっとりして来た気がする。といっても30代の肌が赤子のようになるわけでもないが・・・


遊び続ける事3時間・・・・・・サトに楽しい時間の反動は突然やって来た。


ラマダン中のサト、「喉が渇いた・・・・」


死海の塩成分のためか、強烈な日光のためかはわからないが、体中の水分が砂漠の中の井戸の如く枯渇してしまった・・・・


17時宿に戻る。


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ラマダン中キャンペーンのペプシ。

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死海で遊んでいる間も水分我慢していたサトは日が暮れたと共にペプシがぶ飲み。
あの暑さの中、海水浴をしてよくいままで水分を我慢したな…とちょっと見直した。
だけど、少し体の方が心配である。
あとから何か影響が出なければいいけど…



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2011年08月26日

コーダホテル anman



アンマンの 「Mansur(KODA) Hotel」

日本人には有名で「コーダホテル」 という名前で知られている。


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コーダホテルの名前の由来は2004年に起きた事件に関係している。


日本人観光客の香田証生さんがイラクで拉致され、アルカイダによって殺害された事件。


香田さんは、アンマンからイラクへと行き殺害された。
「なぜ彼がそんな危ない行動をとったのか」とみんな思うだろう。
たしかに彼が取った行動は間違っていた。
だけど彼は日本で報道されているイラクではなく「本当のイラク」「イラクの子供達の笑顔」を見たかったらしい。

バックパックで旅行しているとそういう気持ちがわからなくもない。
その国を訪れてみると日本で聞いていたイメージと大きくかけ離れていることがよくある。
彼はそれをイラクに対しても感じていたのではないかと思う。
本当のイラクを見てみたいと思ってしまったのだろう。

日本の報道は大げさすぎる所が多いし、アメリカ側に偏った見方が多い。
孤島に住んでいる日本人達はそれを信じるしかないのだ。
本当の世界を知るには日本から出ないとわからない。
日本にいるといつまでたっても偏った見方しかできないだろう。
実際、イスラム圏の国へ行くと日本が報道しているイメージと大きくかけ離れている。
危ない地域もあるだろうけど住んでいる人達はいたって笑顔で親切だ。
どこに危険があるのだ?と思ってしまうほどである。



その香田さんがアンマンで宿泊していたのが
マンスールホテルの前身、「クリフホテル」 だった。


当時、クリフホテルには親日家の従業員サーメルさんがいた。

香田さんのイラク行きを止めようと説得したものの香田さんの思いは強く止められなかったそうだ。そして幸田さんのイラク行きのバスのチケットを手配したのが、サーメルさんだった。



その数日後、香田さんはアルカイダに拉致され帰らぬ人となってしまった。

サーメルさんは、自分を強く責めたそうです。なぜもっと説得しなかったのかと。


自分のホテルを経営したかったサメールさんは彼の事を、この事件の事を忘れない為に
ホテルも経営することになったら宿名にコーダさんの名前を入れようと誓った。

そして「マンスール(コーダ)ホテル」 という名を付けたそうです。
(現在、サメールさんは日本にいてオーナーさんは別の方に変わっている)

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宿の近くでは毎晩行列ができるスイーツ屋さんがある。
コーダホテルをでて左にいくと銀行がある。そのあたりの筋を覗いたらたくさんの人が
いるので分かるはず。
弾力のあるチーズに甘い物がのっている。
半分で十分な量がある。
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近所にはフムスを安く食べられるお店や美味しいアイスを食べられるところもある。

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2011年08月25日

ひとりでペトラ観光A petora


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@からの続き

上ってきた階段を下りはじめると、息をきらしながら上ってくる観光客と何人もすれ違った。
私が上った時より暑くなってきていたからみんなつらそうな顔をして
「あとどれくらいなの?」と聞いてくる。早めに来てよかったなー。
と思いながら下っていると前の方に茶色の物体が!!

今日のパートナーの犬君が日陰でゴロ〜ンと寝そべっている。
「おーい。ここにいたのかー?」と顔を覗き込んでもしっかりと目を閉じている。
一瞬ちらっとこちらをみたけどまた寝た振りをする。おもしろくて体をポテポテ叩いて
「すぐ戻らんでごめんねー。」と誤る。
それでも一切目を開けようとしない。ふくれてしまったようである(笑)
犬君にフラれてしまったのでまたひとりで下り続ける。

ロバに乗ったカップルが上ってきた。
ロバがへしゃげてしまうんじゃないかと思うほど、どちらも良い体格をしている。
必死に頑張っているロバも「もういやや…」といって上るのをやめてしまった。
そしたらロバ使いが「上らんかー!!!」とバシバシとロバを叩き始めたときである。

焦ったロバが少し高い段をあがろうとしたけど思ったより体が持ち上がらず踏み外しロバが顔面を打ってしまった。それと同時に乗っていた大きな女性が前のめりになり顔から地面に落ちてしまった。幸い大きな怪我なくすんだようだったけど、危険である。上り道の片側は柵がないので落ちたら大怪我するだろう。

人も災難。ロバも災難である…。



その後もロバにのっている人と何人もすれ違ったが、ロバにうまく乗れずにガチゴチになって悲鳴を上げている女性を何人もみた。私が思うに慣れていない人がロバで階段を上がるのは難しいと思う。前後に揺れるためバランスも筋肉も必要だから歩いて上ったほうが楽だと思う。

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誰もいない2つの博物館へいってみる。両方ともたいした事ない。
だけど崖の途中にあるペトラ考古学博物館の壁のマーブル模様は綺麗だった。
寝っころがっている一応警備員が声をかけてきた。僕のこのカシオの時計は日本でいくらくらいするのか?と聞いてきた。3000円くらいかと思ったけど私がしているG-shockと交換して「USD100くらいじゃない?良い時計だよ。」と答えておいた。すると
「君のはいくらなの?」
「同じくらいの値段。」
「交換して。」
「やだ。私金属アレルギーだからやだ。」
「ちょっと外して見せて。」
「絶対やだ。」

なんでこう交換したがるのかな。
絶対に君、この時計の機能使えないでしょ?といいたくなる。

いつものこういうやりとりを楽しんだあと、元の道に戻ろうかと思ったが博物館へ来る前に付きまとっていたベドウィン達が下で待っているのが見えた。
なので横道にEL-HABIS FORTという看板があったので行ってみる。
ぐるりと山の裏へ回る道を歩いていくとベドウィンのおじいさんが休憩していた。
挨拶すると笑顔の挨拶が返ってきた。「この先はいけるの?」と聞くと
「ペトラ内は君の行きたいところはどこでもいってもいいんだよ。私はそこの裏の家に住んでいる。来たかったらくるといいよ。」という。

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おじいさんは下から水をタンクにいれて運んできたところ休憩していたらしい。
「ここが私の家だよ。お茶でも飲んでいく?」と聞いてきた。
一応カフェとして経営しているらしく『COFFEE & TEA 1d』と書いてある。
「今いらない。」と断ると、「そこの急な坂を上ると景色がいいよ。いっておいで。」というので上がってみる。

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一応地図には載っているけど、観光客はいっさいいないし教えてもらわないと上り口がわからない。かなり急で足場も悪い。岩場をよじ登るような所もある。時々風が吹くので怖かったけど上ってみると歩いてきた柱廊や王家の墓、大寺院が見渡せる絶景ポイントだった。

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下にはツアー客が団体でロバに乗っているのが見える。
この上からの景色は自分だけの世界みたいで嬉しかった。
ひとりきりなのが嬉しくて頂上付近をうろうろしてみる。
すると…大して広くない頂上なのに降りる場所が分からなくなった。
どこをみても同じ岩場に見えてさっぱりわからない。ここは滅多に人がこない。
上に上がったのはおじいさんしか知らない。焦ってあちこち見て回る。
助かったことに上からはおじいさんの家に立ててあるヨダルン国旗がはためいているのが見えた。上ってきたときの事をシュミレーションして道を探す。

「たしか・・・・この辺りなはず」と思って少し5歩降りてみると崖になる。
どうしたものか…こんなところで遭難してしまった。
と落ち着こうと周りを見渡していると、石が積んであるのが目に入った。
「あっ!!遊牧民がよくやる目印だ!!」と石が積んであるところを辿ってそろりそろりと降りていくと道になってきた。

急な上に細かく曲がりくねっているから道が消えたようにみえたのだ。
上るときに写真を撮った綺麗なマーブル模様がでてきた。
はぁ〜…遭難せずにすんだ。わずか15分の遭難だったけど、ひとりで自然の中に入るときは気をつけないと。と痛感した瞬間。
おじいさんに「上れたよ。ありがとー」と挨拶すると手招きして「ちょっと日陰で休憩していきなさい。」というのでお言葉に甘えて縁側で休憩させてもらう。おじいさんは一生懸命にSHARP製の年代物のラジオをあけて修理している。
おじいさんはひとりでここに住んでいるらしい。
カフェがおじいさんの仕事なの?と聞くと「そうだ」という。

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「今はローシーズンだからお客さんは来ないけどハイシーズンはたくさんくるからそれでいいんだ。」といいながらお茶をだしてくれた。
おじいさんの家の前の山にはたくさんの洞窟がある。おじいさんはそこで産まれて育った。

「1984年にユネスコとヨルダン政府が勝手に近くにベドウィン村を作って住民をそちらへ移動させた。今では学校や病院もあるから絶対に悪いとは思わないけど、だけど昔の方が良かったという。家の前はたくさんのベドウィンが火を起こしたり、ご飯をつくっていたり、子供達が遊んで家畜がいて、すばらしい景色だったんだ。
政府は全員に移動しろといったけど私は移動しなかった。ここに残る事に決めたんだ。
なぜならここが私の故郷だから。
今、ペトラの中に家をもって生活しているベドウィンは私だけだ。
ロンリープラネットにも私のことはのっているぞ!」
とガハハと黄色の歯をみせながら誇らしげに笑った。
おじいさんによると来月9月には雨が降る日がある。濡れたペトラは色が濃くでて一層綺麗さが増すらしい。
「次回来た時は旦那さんと私の家に泊まるつもりできなさい。ここから見る夜空は最高だよ。」といってくれた。
彼の名前はBDOUL MOFLEHさん。
お土産にペトラでみつけた綺麗な貝の化石をくれた。

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気がつくと1時間くらい話をしていた。
いろんな事を教えてくれて楽しい時間だった。

おじいさんに教えてもらった道を歩いていくと大寺院の裏にでた。メインロードに出るとロバ使いとラクダ使いが「ジャパニーズ!!」とあちこちから声をかけてくる。行く所々で代わる代わるロバ使いに付回される。「ノー!!!」と言いながらモザイクを見るためにビザンティン教会へ行く。ロバ使いもみんな悪い人ではない。親切に道を教えてくれるので結構助かる。若いロバ使い程、性質が悪い。「僕もあっちへ行くついでだからフリーで乗って良いよ。」とかいってくる。「いらない。」といってもかなりしつこい。なので道を聞くときは必ずおじさんに聞く事にしていた。
ビザンティン教会の床には綺麗なモザイクが残っていた。かわいらしい動物のモザイクが多い。上からかすかに砂がかかっているせいなのかシックな色あいだ。

ビザンティン教会から見えている王家の墓に行く。中に入ってみようかなーと見上げていると若いロバ使いが「向こうへ歩いて2分くらいにもうひとつ墓の跡があるよ。」という。
「ありがとう。ひとりで行くから。」というと
「わかった。またねー。」とあっさり向こうへいったので安心して彼が行った方へいくと
階段がでてきた。ベンチで少し休んでいると、さっきのロバ使いがやってきた。
「この階段を30分ほど上がると上からエル・ハズネを見下ろすポイントへいけるよ。」との事。
「ありがとう。でもひとりで行くから。」
というと「僕は今からこの崖の上にある家に帰るんだ。ついでだから一緒にロバに乗りなよ。」という。
「ベドウィン村に住んでないの?」と聞くと「うん。」という。
「まだ観光客いっぱいいるのに今日の仕事は終わりなの?」と聞くと「僕の仕事はヤギ追いで観光客相手の仕事はしていないんだ。」という。

「とにかくついてこないで。」といって階段を5分ほど上るとまたついてきた。
「乗りなよ。どうして僕のこと信用してくれないの?僕には日本人のガールフレンドがいるんだ。見て。」といいながら携帯画面を見せてくる。
画面には日本の若いかわいい女の子がロバにのっている写真が映し出されている。
「あなたが言いたい事はわかったけど、とにかく私はロバに乗る事は嫌いだしひとりが好きなの。ほっといて。」といくら言っても離れていかない。
「君は何歳なの?」と聞いてきたから「34歳!君より10歳くらい年上よ。結婚もしてるし!!!」というと年齢にちょっと引いていた。むかっ!
さすがに君も20代がお好みでしょ!とこれで去るかと思っていたら甘かった。
「僕は君の事、好きだ。」といいだした・・・。

なんかやばいと思い、人通りがあるところまで急いで階段を下りた。
女の子のひとり旅ってこんなんの連続なのかなー大変だと思った。

その後も彼は人通りのあるメインロードでも私をみつけては「本当に好きだ」などと言ってきた。なんだかそうこうしている内にペトラの興奮も冷めてきて、1日無我夢中で歩き続けていた疲れがでてきたので帰ることにした。
あといくつか気になっているところはあったけど、満足したので最後にエル・ハズネ前のベンチで見納めがてら休んでいた。
そしたらまた違うロバ使いが。「なんでこんなに早く帰るんだよー。」

勘弁してくれ。

ペトラにいる間に若いベドウィンから日本人の「ハヤシ マリ」さんの名前を何度も聞いた。何でもみんなの友達でベドウィンと結婚する7ヶ国語を話す20代後半の女性らしい。
なにかにつけ「日本人のガールフレンドがいるんだ。ハヤシマリっていうんだけどね〜〜〜」から始まる。「ハヤシマリって有名だねぇー。その名前ほかの人もいってたよ。」
というと「それはまた違うハヤシマリだよぅ」という。
同姓同名の日本人がそうそうペトラで有名になるとは思えない・・・。


エル・ハズネを見て帰る途中、ここの管理で働いているおじさんにあう。
「日本人は好きだ。」というのでなぜかとたずねると
「クリーンだから。」という。「・・・クリーン?」こんな返しが来たのは初めてだったので笑いながら聞くと、以前誰かがポイ捨てした煙草を日本人が拾って捨てているのをみたらしい。素晴らしい日本人です。

ちょうど道もペースも同じだったから一緒に歩きながら入り口へ戻る。おじさんは遺跡のガイドをしながら歩いてくれた。
おじさんは昔は大きなホテルで働いていた人でこっちに転職したという。なのでベドウィンではないらしい。ベドウィンと話している内にベドウィンではなくペトラに関わっている人の話が聞きたかったから、ベドウィン村のことについてきいてみた。

「なんで、ベドウィン村を作ってみんなを移動させたの?」

「それはベドウィンの人々は洞窟内で火を起こすからダメージを与えてしまう。」

「彼らは移動しないといけなかったわけだけど、ベドウィンの人達は代償としてお金をもらったりしてるの?」

「彼らには家を与えた。それにペトラ内で働けるという仕事がある。」


なんか納得いくような、いかないような・・・・
だけど今、彼らには学校も病院もある。仕事もある。だけど以前のようにペトラが自分達の家なんだとは思えなくなった。どっちが幸せなことなんだかわからない。
若いベドウィン達はそれなりにお洒落して携帯を持っている。ベドウィンに魅せられた外国人と結婚する人も年々増えているという。
昔はお見合い結婚だったけど今のベドウィン達は恋愛結婚を望んでいる。

だけど、20歳代のベドウィンの男達がみんないっていたのは
「自由が好きだ」
という言葉。英語をペラペラに話し、今風な身なりをしても目の周りだけは黒く塗ってベドウィン風にしている。やはり血はベドウィンでいたいのかなと思った。


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スイカみたいな実。毒性が強く食べられないらしい。


ひとりで行ったにも関わらず半分以上の時間はベドウィンと話していた気がする。
いろんな人と関わりひとりの時間も満喫できた。
たまには特派員になるのもいいもんだ。

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宿からの夕日





posted by hoso9 at 12:00 | Comment(0) | ヨルダン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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